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福岡高等裁判所 昭和52年(う)2号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官船津敏提出(同山田一夫作成名義)の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人藪下晴治提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

右控訴趣意第一点(事実誤認)について。

所論は要するに、原判決は本件火災の出火時点につき事実を誤認したものである。すなわち、原判決は被告人が原判示寮の風呂釜の煙突がはずれていることに気付いたにも拘らずこれをそのまま放置したことが原因となり、この事情を知らない山近茂が風呂を焚いたために、煙突のはずれた個所から熱気が洩れて本件火災に至ったものであることを肯認しながら、被告人の失火責任を否定すべき前提事実として、右の風呂は約三〇分間で適温に沸くものであるところ、煙突の高さやはずれた個所とモルタル壁との間隔などを考慮すれば、はずれた個所から洩れる熱気が右の三〇分間に内壁の木材等を過熱して発火させるに至ったものとは認められず、本件火災は山近茂が風呂を消すのを忘れたために、約五〇分間も焚かれて過度の熱気が洩れたことにより発生したものであると認定しているのであるが、右認定に副う証拠はない。かえって、原審取調の関係証拠及び刑事訴訟法三八二条の二に則り取調られるべき柴垣智則作成の鑑定書によれば、本件の石油風呂釜で風呂を焚くと煙突のはずれた個所からは強い熱気が洩れ、そのために右個所に近接したモルタル内壁の木材の表面は、点火後数分間で発火危険温度(約二六〇度)を超える高温(約三〇〇度)に達するので、右木材は風呂が適温に沸いた時点(点火の約三〇分後、つまり昭和五一年二月一五日の午前一時頃)までに発火するに至ったものと認められ、少くともその可能性は十分認められるものである。したがって、原判決は被告人の失火責任の前提たる出火時点につき事実を誤認したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないというのである。

よって、所論にかんがみ本件記録、原審取調の証拠のほか当審における事実取調の結果を加えて検討しても、原判決には出火時点に関し所論の如き判決に影響を及ぼすべき誤認は見出せない。すなわち

原審取調の関係証拠上明らかな如く、本件火災の原因は寮生の山近茂が煙突のはずれていることを知らずに風呂を洩き、その熱気が右のはずれた個所から洩れてモルタル内壁の胴差し(横木)等を過度に熱し、遂にこれを発火させるに至ったことに存するのであるが、右証拠、とりわけ《証拠省略》によれば、(イ)寮生の山近茂が浴槽に水を入れた上で風呂釜に点火したのは二月一五日午前零時三〇分頃であり、(ロ)寮生の向井敏子が帰寮後風呂の沸いているのに気付いてそのスイッチを消したのは同日午前一時二〇分頃であり、(ハ)通行人の伊藤誠二及び隣家の主婦谷口ミチヱが本件建物の二階西側(風呂場の上付近)が燃えているのを発見したのは同日午前一時五〇分頃であることが認められるので、本件火災の出火時刻は午前零時三〇分過頃から午前一時二〇分過頃までの約五〇分の間であることが認められる。

ところで所論は、右出火の時刻をさらに限定し、点火後湯が適温に沸くまでの約三〇分以内に内壁木材等が熱せられて発火するに至るから、午前一時頃以前に出火したものであるというのである。しかし、原審取調の証拠を仔細に吟味しても所論の如き事実は認められず、当審における事実取調の結果を加えて検討しても、所論を認めるに十分でない。(この点につき、《証拠省略》によれば、同種の石油風呂釜、浴槽及び煙突等を使用して行った実験の結果では、煙突のはずれた個所から洩れる熱気によりこれに接近して置いた杉板の表面は点火後五分間で三〇〇度に達し、その後も右高温を保持して発火の危険の大きい状態が続いたが、約六〇分間焚いたにも拘らず、結局杉板は発火するに至らなかったことが認められるので、右実験が湿度、気温その他の条件を異にすることを考慮しても、本件において点火後三〇分以内に胴差し((横木))等が発火する可能性がないとはいえないが、右時間内に発火するに至ったものとは断じがたく、これをもって所論に副うものと言うことはできない。)

尤も、その反面において、原審取調の証拠から午前一時頃以前に出火した可能性を全面的に否定し、出火時刻を午前一時頃以降であったものと積極的に認定することもできないところである。したがって、原判決がこの点につき、点火後三〇分以内に発火したものではなく、山近茂が消すことを忘れて、その後も焚き続けたため、その間に発火するに至った旨認定したことは証拠に基づかない推断であり、その限りにおいて事実を誤認したものというほかない。しかし、右の如き発火の可能性がないとはいえず、その可能性は先に説示せる所論の時点における発火の可能性と同じであって、本件の場合いずれの可能性も発火時点を断定せしむるに足りないので、右の二つの可能性を含む時間帯における発火を前提として、被告人の失火責任を判断すべきものである。そうだとすれば原判決の右の誤認は判決に影響を及ぼすものではない。

したがって、原判決の発火時点の認定には右の誤認を含むけれども、前示のとおり右は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認とはいえないものであり、論旨は理由がない。

右控訴趣意第二点(法令の解釈、適用の誤り)について。

所論は要するに、被告人は煙突がはずれていることに気付きながらこれをそのまま放置しておいたものであり、これが原因となって右事情を知らない山近茂が風呂を焚いたために、本件火災が発生したのであるから、被告人の過失行為と結果との間には刑法上の因果関係が存し、被告人の失火責任は明らかである。仮に、山近茂が風呂を消すのを忘れ、湯が適温に沸いた時点(点火の約三〇分後)を超え、約五〇分間にわたり焚き続けたために、本件火災が発生するに至ったものとしても、かかる程度の沸かし過ぎ(焚き過ぎ)は社会生活上よくあることであり、通常人にとって十分に予見可能なことであるから、山近茂の右行為の介在を理由として被告人の失火責任を否定することはできないものである。しかるに原判決は、被告人の失火責任を判断するに当っては、他人の正常な風呂沸し行為を前提とすれば足りるとの見解の下に、山近茂が風呂を消し忘れたために火災発生に至ったものと認められる本件において、被告人の行為と結果との間には刑法上の相当因果関係がなく、過失もないことになるとして被告人の失火責任を否定するのであるから、右は刑法一一六条(延いては同法一一七条の二)の解釈又は適用を誤ったものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないというのである。

よって検討するに、原判決も説示する如く、(イ)本件火災は被告人が風呂釜の煙突がはずれていることに気付きながらこれをそのまま放置しておいたことが原因となって発生したものであり、(ロ)しかも、右風呂釜で風呂を沸したものが適温に沸いた時点で消すことを忘れて眠ってしまい、右時点(点火の約三〇分後)を超え約五〇分間に亘り風呂を焚き続けたために、その間に火災発生に至ったものと認められるものである。

そこで、右の事実関係を前提として被告人の失火責任につき考察するに、

(1)  被告人は原判示寮の石油風呂釜と浴槽の接続工事を施行中に右風呂釜の煙突がえび曲りの接続部ではずれていることに気付いた者であるが、かかる場合に右のはずれた個所をそのままに放置しておけば、事情を知らない他人が右風呂釜を使用して風呂を焚きその結果煙突のはずれた個所から熱気等が洩れるなどして、火災の発生に至る危険が存することは、被告人のみならず通常人にとって極めて容易に予見できるところである。特に、人が風呂を焚く場合には、必ずしも湯が適温に沸いた時点で直ちにこれを消すものとばかりは限らず、消すことをうっかり失念して(あるいは何らかの理由でことさら消さないで)、右時点を過ぎてもある程度の時間焚き続け、湯を沸かし過ぎの状態に至ることも稀ではなく、むしろ本件における如く二〇分位焚き過ぎることは社会生活上しばしば経験されることである。したがって、風呂沸し行為という場合は右の如く湯が沸いた後もある程度の時間焚き続ける場合を含み、通常人にとってかかることは当然に予見されるところである。

そうしてみれば、風呂釜と浴槽の接続工事に際し、右風呂釜の煙突がはずれていることに気付いた被告人には、これをそのまま放置しておいた場合に事情を知らない寮生らが風呂を焚き、前示の如き風呂沸し行為をして、右のはずれた個所から熱気が過度に洩れて火災発生に至ることを予見し、これを回避すべき義務が存するものというべきである。(なお、被告人は元来煙突の取付工事そのものを業務としているものではなく、浴槽や風呂釜等の販売及びこれに伴う取付工事等を業務としているものであるが、本件における如く、他の業者が浴槽を取替えた際にはずした風呂釜を、改めて新しい浴槽に接続する工事をする場合には、煙突の取付の如きは通常該工事の一環として当然になされるものであり、右の浴槽、風呂釜及び煙突に係る一連の火気用品の設置業者として、火気に関し特別の注意を要求される立場にあったものであるから、業務上の注意義務を負うものと解するのが相当である。)

(2)  しかるに、被告人は右火災発生の結果を予見したにも拘らず、これを回避すべき義務を怠り、直ちに煙突のはずれた個所を完全に接続するか、寮生らに対し煙突の不接続を告げるなどの措置をとることなく、そのままこれを放置しておいたものであるから、被告人に過失(過失行為)が存することは否定できないところである。しかも、被告人の右の過失行為が原因となって関係状況上予見され且つ回避可能であった本件火災が発生しているのであるから、被告人の過失行為と結果たる本件火災との間に一般的な予測可能性を基礎とするいわゆる相当因果関係が存することも否定できず、被告人は刑法一一六条にいう「火を失した者」に該当し、同法一一七条の二所定の業務上失火の責任を免れないものである。

(3)  ところが原判決は、本件の如き失火事件において被告人の過失の有無及び因果関係の存否を判断するに当っては、「他人の正常な風呂沸し行為」(湯が適温に沸いた時点で直ちにこれを消すこと)を前提とすれば足りるとした上、本件では消し忘れて二〇分間も余計に焚き続けたために火災発生に至ったものと認められるから、被告人の行為と火災発生との間には相当因果関係も認められないとして、被告人の失火責任を否定するのである。しかし、前示(1)及び(2)のとおりであって、被告人は過失責任を免れず、いわゆる相当因果関係の存することも十分是認できるところである。かくして、原判決は刑法一一六条(延いては同法一一七条の二)の解釈又は適用を誤ったものというほかなく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないものである。論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条に則り原判決を破棄し、当審において直ちに判決をすることができるものと認めるので、同法四〇〇条但書に従い自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、合資会社野口建材店の営業社員として浴槽、風呂釜及び洗面所など住宅器機類の販売及び取付等の業務に従事しているものであるが、昭和五一年二月一二日午後五時頃、谷口一郎所有にかかる熊本県水俣市桜井町二丁目二番二〇号所在の木造瓦葺二階建(二二七・八〇二平方メートル)水俣診療所従業員寮の浴槽と石油風呂釜との接続工事を施行した際、右風呂釜の煙突のえび曲りの接続部がはずれているのに気付き、これをそのままの状態で放置すれば寮生らが右風呂釜で風呂を焚き同所から熱気が洩れて付近の壁板等の可燃物に着火する危険も予見できたのであるから、同所を完全に接続するか、寮生らに煙突の接続が不十分であるから完成まで風呂を焚かないように注意するなどして、右のはずれた個所から熱気が洩れることによる火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、翌日改めて接続するつもりで、寮生の向井敏子らに対して「まだタイルのかわき具合が悪いので風呂を使うのは明日にして下さい。」と告げただけで、煙突の不接続につき全く触れないまま帰宅し、翌日に至るもこれをそのまま放置した過失により、右事情を知らない寮生の山近茂が、同月一五日午前零時三〇分頃から同一時二〇分頃までの間右風呂釜で風呂を焚いたため、右えび曲りの接続部のはずれた個所から熱気が洩れて漸次付近の胴差し(横木)、床板等を燻焼し、同一時五〇分頃にはすっかり燃え上らせ、因って右山近らが現に住居に使用する右建物一棟を半焼させて焼燬したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一一七条の二、一一六条一項(一〇八条)、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書に従って被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平田勝雅 裁判官 川崎貞夫 堀内信明)

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